amen-more-than-a-prayer-tag-full-1116x490 「アーメン」はただの祈りのタグじゃない

祈りの終わりの一言に対して、最後に思いを馳せたのはいつでしたか?

イエスを主であり、救い主とする私たちの祈りの終わり方には特徴があります。毎回ではなくても、ほとんどの場合、私たちはみな同様に「アーメン」と言って祈り終えるのです。それは、特に愛する人々と集い共に祈る時、耳で聞こえる終止符のような役目を果たします。「アーメン」を聞けば、それが祈りの終わりであると皆が理解するのです!しかしながら、「アーメン」には祈りの終わりを知らせる句読点やタグ以上の意味があります。

秘められた素晴らしい真理

あなたの「アーメン」には驚異的な真理が秘められていることを、今日お伝えしたいと思います。この一言には、あなたの人生で神の約束が成就する様子を見るための手助けとなる啓示が捕らえられているのです。

神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。

コリント人への手紙 第二 1:20(新改訳)

信仰に根差している

「アーメン」は「確かに、真に」を意味し、その語源は「信仰」を指すヘブライ語「emunah」にあります。ですから、あなたが「アーメン」と言う時、自分が祈り求めていることを愛溢れる天の父が与えてくださるという信頼を宣言しているのです。その一言を通して、あなたは「天の父よ、これが私の人生で成し遂げられますように!」と言っているのです!そのささやかな一言によって、あなたは主の約束と祝福が自分の状況下で成就するという信仰を、ただ主のみに置くと宣言しているのです。

ここで、神の祝福は神の恵みにより無償で与えられるものですから、私たちが努力してそれを獲得することはできないと皆さんもご存知でしょう。だからこそ、「アーメン」と言うことは、すなわち自分には値しないほどの神の好意に依り頼むという宣言でもあるのです。「アーメン」と言う時、あなたは「ただイエスが完了された御業のみに基づいて、この祝福が私の上に成されますように」と言っているのです。

神の栄光のために「アーメン」を宣言しよう!

親愛なる皆さん。「アーメン」と言うことを儀式のように捉えないでください。それは、私たちの信仰を働かせる機会なのです。「確かに、イエスの故に、私が求めるこの祝福が、私が耳にするみことばの約束が、あなたの栄光のために私の上に成されますように」と天の父に言える機会なのです。この一言についてこのような啓示を受け取る時、あなたの一つ一つの「アーメン」は、神のひとり子が十字架で成し遂げられた御業への心のこもった感謝の芳しい香りを携え、賛美として父の元へ上げられるのです。

ある学者たちによると、聖書には7,000を超える約束が記されています。それらは全て、私たちが今日握りしめるべきものです。聖書には、主であり、私たちの救いの神であるお方は「日々 私たちの重荷を担われ」、朝ごとに新しいあわれみを与えてくださると記されています(詩篇 68:19、哀歌 3:22-23 参照)!

親愛なる皆さん。これら全ての祝福を私たちに与えるために、キリストは十字架でいのちを捧げて代価を支払われました。ですから、全ての祝福について、主が私たちに「はい!」と言われるのに対して「アーメン」と答えることは私たちの特権なのです!

今日、啓示と理解を得た上で「アーメン」と言うことで、神の約束が人生に成し遂げられるのを見ていきましょう!
 

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